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「わたしは雲の中にわたしの虹を置く。」
(旧約聖書、創世記9章13節)

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牧師:「ノアの箱舟」という物語の終わりには虹が登場します。虹は神様と大地の間に立てた契約のしるし、この世界と天国との架け橋と言ってよいでしょう。

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ヤコブの梯子(はしご)「すると、彼は夢を見た。先端が天まで達する階段が地に向かって伸びており、しかも、神の御使いたちがそれを上ったり下ったりしていた。」
(旧約聖書、創世記28章12節)

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牧師:雲の隙間から太陽の光がさす幻想的な景色。その光の階段に名前があるのを知っていましたか?「ヤコブの梯子」や「天使の梯子」と呼びますが、それは聖書に由来します。

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ソロモン(ある時、二人の遊女がソロモン王のもとに来ます。一人の赤ん坊を巡ってどちらが本当の母親か裁きを求めます。言い分を聞き、ソロモンは剣を持って来させ、そして…、)「王は命じた。「生きている子を二つに裂き、一人に半分を、もう一人に他の半分を与えよ。」」
(旧約聖書、列王記上 3章 25-27節)

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牧師:テレビ番組だったり、仮面◯イダーの名前だったり、日本でもよく耳にする「ソロモン」の由来は、聖書に登場する実在した人物。ダビデの子、ソロモン王。最も有名な出来事の一つは、争いをふさわしく裁いた聖書箇所でしょうか。このモデルは大岡◯前の大岡裁きにも用いられたと説明する研究者も…。

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クリスマス「そして急いで行って、マリアとヨセフ、また飼い葉桶に寝かせてある乳飲み子を探し当てた。その光景を見て、羊飼いたちは、この幼子について天使が話してくれたことを人々に知らせた。」
(新約聖書、ルカによる福音書 2章 16-17節)

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牧師:クリスマスって、チキンやケーキでパーティーする日?サンタクロースが忙しい日?いえいえ、イエス・キリストの誕生日です。なお、パーティーや、サンタクロース、そしてクリスマスツリーなどは、聖書の時代以後の伝統です。「クリスマス」とは「キリストのミサ(礼拝)」。はじめのクリスマスの礼拝は、素朴な喜びの時でした。

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十字架は死刑の道具「ほかにも、二人の犯罪人が、イエスと一緒に死刑にされるために、引かれて行った。「されこうべ」と呼ばれている所に来ると、そこで人々はイエスを十字架につけた。犯罪人も、一人は右に一人は左に、十字架につけた。」
(新約聖書、ルカによる福音書 23章 32-33節)

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牧師:教会のシンボルは十字架。でも、もともと十字架は死刑の道具でした。千葉教会では、特に、空(から)の十字架をシンボルとして覚えます。これは、イエス・キリストの復活を(罪と死に勝利したことを)覚えるためです。

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イースター「天使は婦人たちに言った。「恐れることはない。十字架につけられたイエスを捜しているのだろうが、あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
(新約聖書、マタイによる福音書28章5-6節(途中))

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牧師:最近は、スーパーやコス◯コ、浦安のテーマパークなどでも「イースター」という言葉を聞くようになりました。その意味は「復活祭(復活日)」。キリストの十字架の死からの復活をお祝いする日です。ちなみに、イースターは、キリスト教のカレンダー(教会暦)の中心です。

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豚に真珠、目からうろこ…「真珠を豚に投げてはならない。」
(マタイによる福音書7章6節(部分))
「すると、たちまち目からうろこのようなものが落ち、サウロは元どおり見えるようになった。」
(使徒言行録9章18節(途中))

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牧師:普段、私たちが使っている慣用句には聖書に由来する言葉がたくさんあります。みなさんはいくつ知っていますか?

*聖書の引用:聖書 新共同訳
©︎共同訳聖書実行委員会
Executive Committee of The Common Bible Translation
©︎日本聖書協会
Japan Bible Society , Tokyo 1987,1988


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ルター:信仰「信仰は事実である。」
(『卓上語録』 p.181)

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牧師:「信仰って何?」と、よく聞かれます。「信仰」の辞書的な意味は「神様(神聖なもの)を信じること」になると思いますが、よく分かりません。ルターは、信仰は思考されたものでなく、事実(神への真摯な信頼、聖霊による誠実な行為)と理解しました。なるほど、信仰は事実なんですね。

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ルター:希望「わたしたちの希望の告白を、
動くことなくしっかり持とう。
それを約束されたかたは忠実だからである。」
(ヘブライ人への手紙10章23節、ルター訳)
(『日々の黙想』 p.369)

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牧師:日本語を使う人は日本語の聖書を読む。このような、今では当たり前のことも、ルターの生きた時代には困難を極めることでした。ルターは、実際に聖書を自国語に翻訳し、人々に伝えました。識字率の低い時代、本は聞くものでもありましたから、自国語の聖書は大変貴重な存在でした。今、この時代にルター訳の聖書を読むと、聖書の言葉として、そして、それを伝えるルターの言葉として、あたたかく感じられることでしょう。

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ルター:愛「何をどれほど行うかわたしたちが知らないときが、
もっともよい信心深い行いをする。
同様に、行うことが愚かに見えるときが、
一番賢明な行いをする。」
(『卓上語録』 p.332)

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牧師:「ありがた迷惑」とはよく聞くものですが、どうやら、昔からあるもののようです。人間って、どこまでいっても自分中心なんですね。だからでしょうか、ルターもこのように記しました。そして、次の聖書箇所を引用しながら、謙虚に仕え合うことを語ります。弱くて良い、強がって生きなくて良いのですね。
「すると主は、「わたしの恵みはあなたに十分である。力は弱さの中でこそ十分に発揮されるのだ」と言われました。だから、キリストの力がわたしの内に宿るように、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。」(コリントの信徒への手紙二12章 9節)

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ルター:音楽「音楽は神の最高の賜物である。
Music is God’s greatest gift.」
(『卓上語録』 p.380)

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牧師:ルターは音楽に長け、音楽を愛していました。賛美歌を作り、楽器を奏で、音楽を豊かに用いて、聖書の言葉を人々に伝えました。そして、この教会音楽の伝統は、バッハの時代にも、そして、500年以上経った現代にも継承されています。

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ルター:おまけ「最上の処方箋」
(『卓上語録』 p.342)

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牧師:ルターは、自身が持っている最上の処方箋は、ヨハネによる福音書3章16節だと語りました。効きそうですね!
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」

引用文献
M.ルター(著)、植田兼義(訳)、『卓上語録』、教文館(2003年)
M.ステイナー、P.スコット編、『教会暦による日々の黙想 ルターの著作より』、聖文舎(1963年)

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